Interview - Mari AZUMAProject # 1

Interviewer: Angela, NAOKI

Photographer: NAOKI
Location: Mashiko Tochigi


我妻マリ

 1968年資生堂イメージモデルとしてデビュー。パリコレクションをはじめ、ロンドン、ミラノ、ニューヨークなど世界のコレクションに出演。イヴ・サンローラン、ジバンシーなどのオートクチュールモデルとして、またイッセイ・ミヤケ、コムデ・ギャルソン、ヨージ・ヤマモトなど数々のコレクションに出演しファッションモデルの第一人者として世界的に活躍する。現在はファッションモデルモデル、パフォーマー、デザイナーブラントのショー演出、化粧品の商品企画、ファッションアドバイザーなど多方面に活動する。


実は、ダンサーになりたかったの

NAOKI:そもそも我妻さんがモデルになるキッカケは何だったのですか?


我妻マリ:お金がない学生時代、モデルをしていた友達のすすめで、アルバイトをすることになったんです。


NAOKI:どういったアルバイト内容だったんですか?


我妻マリ:ショーのモデルですね。とはいっても、もちろんオートクチュールではないですよ。

あれは1967年だったかしら。当時日本のアパレル業界は“繊維革命”と言われる新たな技術が発達し始めている頃でした。

そんな中で“帝人”や“東レ”といった企業によるファッションショーに出演するお仕事をしました。


NAOKI:当時のモデルはどんなタイプでしたか?


我妻マリ:線が細かったですね。とにかく華奢な体型が求められていた。みんな細いの!

ずっと踊りをやっていた私は体が大きく骨格がしっかりとしていたので決してモデル体型ではなかったんですよ。

あと、ハーフのモデルが好まれていました。


アンジェラ:踊りをやられていたんですか?


我妻マリ:モダンバレエをずっと。


NAOKI:では、モデルに興味は‥


我妻マリ:なかった!私の夢は、ダンサーになることだったの。


アンジェラ:ではどのタイミングで本格的にモデルの世界に入られたんですか?


我妻マリ:その当時、日本人モデルとして活躍していたハーフモデルの入江美樹さん。

彼女はイヴサンローランのショーなどでランウェイを歩いていたんですが、オーケストラ指揮者の小澤征爾さんとの

ご結婚を機にモデル業を引退されたんですね。


アンジェラ:ええ。


我妻マリ:それは同時に入江美樹さんの"枠"が空くことを意味していて、

そこで新たに、オートクチュールのショーで歩くモデルの募集がされたの。そのオーディションを受けた結果、合格。

自分としては予想外だったのだけれど。そして徐々に、オートクチュールの世界に・そしてモデルという仕事に魅了されるようになったの。


NAOKI:当時、モデルの仕事はやはりショーがメインだったんですか?


我妻マリ:そうですね。とりわけオートクチュールのショーに出ることこそが最高の仕事で、

モデルとしてのステイタスでした。


NAOKI:広告やファッション誌は?


我妻マリ:もちろんありましたよ。例えば広告でしたら資生堂など。雑誌は"装苑"がメインでした。


アンジェラ:我妻さんはそのどれをもご経験されているんですか?


我妻マリ:そうですね、どれも経験しています。ショーも楽しい、フォトグラファーと作品を作る写真も楽しい、広告も楽しい‥。


NAOKI:当時、ショー/広告/雑誌の3つをこなすモデルは珍しかったのではないですか?


我妻マリ:はい。私は欲張りなのかしら(笑)


NAOKI:(笑)モデルの数自体も少なかったでしょう。


我妻マリ:今と比べるとかなり少ないですよね。マーケット自体が小さかった。

又、当時はツイッギーブームもあって、とにかくモデルといったらハーフかアメリカ人だった。モデルの需要自体も少なかったの。

つまり、未知の世界に私は飛び込んでしまったの。


毎日がサバイバルです

アンジェラ:当時のショーの雰囲気は、今とは違いますか?

我妻マリ:全然違いますね。例えば音楽はピアノの音色だけで行う。

会場も公会堂などを利用し、ピアノだけがポツンと置かれたシンプルなライティングの中を歩くんです。

モデルもひとりだけしか出てこなくてね。服のひとつひとつを丁寧に見せていくようなショーでした。とにかく全てがslowなんですよ。


アンジェラ:それって、モデルにとってはプレッシャーでもありますよね?


我妻マリ:丁寧に見せる分、失敗は許されない。


アンジェラ:何か、トレーニングみたいなことはされていたんですか?


我妻マリ:そんなものはないからとにかく自主的な研究に尽きます。見よう見まねで先輩の歩き方を研究!

夜は誰もいない路地で、ハイヒールを履いてウォーキングの研究!といった具合。


アンジェラ:ショーの演出はいかがですか?歩き方とか、登場の仕方とか。


我妻マリ:う~ん、演出というものも無いですね。ただ、歩き方に関してはすごくシビアでした。

さっきも言ったように音楽がピアノの音だけですから全てがバレてしまう。先輩のモデルたちは皆すごいんですよ。

まるで風のようにウォーキングをするのです!足音が聞こえないの。その姿を見て、また研究。


NAOKI:他に何か、今と違う当時のエピソードはありますか?


我妻マリ:あります。日本のショーの場合はアクセサリーや靴も私物でしたよね。


アンジェラ:と言うと?


我妻マリ:帽子だけは先生がデザインされたものを被ることもありましたが、

その他の小物であるグローブやバッグ、ネックレスや靴などは全て私物だった。だから私は当然のように、ヒール違い、

色違いの靴を数十足持っていましたし、グローブも夏用のレース付きのもの、冬用のウールのものと、様々な種類を揃えていました。

ネックレスだって、ウェディング用のパールやドレスアップした際のイヤリングなど、一通り持っていた。


アンジェラ:それは大変ですね!目が回ってしまいそう!


我妻マリ:(笑)


アンジェラ:‥ということは、コーディネートは自分で考えるんですか?


我妻マリ:その時々で違いますが、大抵は最終的なフィッティングの時に私物を持っていき、

そこでデザイナーの先生と一緒に決めるんです。


NAOKI:自分のことは自分が責任を取る。


我妻マリ:そうですね。それにしてもとにかく大荷物なのですから、物理的にも大変でしたよね(笑)


アンジェラ:何でも細分化している今とは全く違いますね。例えばショーの場合、

モデルは歩くことだけに集中していればいい。ヘアメイクはもちろん、服を着ることでさえも全て誰かがやってくれる。


我妻マリ:でもそれはよくないと私は思うの。

もちろん今のショーは時間的にも限りがあるから仕方ない部分もあるけれど。

せめて洋服だけでもひとつひとつチェックしながら自分で着たほうがいい。誰かに調整してもらうよりも

自分でやるほうが色々な意味でしっくりとくる。自分自身のことを一番知っているのは自分ですから。

それを研究する時間が無いというのはモデルとして悲しいことでもあると思うんです。


アンジェラ:自分のために勉強し、研究しなければならない。結果としてそれがモデルとしての成果にも繋がる。

我妻さんがショーなどでご活躍されていた頃は、自分の見せ方に責任を持つこと、

そしてクリエイティブにならなければならない状況が自ずとできていたんですね。


NAOKI:それができないモデルに次は無い。ある意味シビアだよね。

重要なことは体型や表面的な要素ではなくて、そのモデルがいかにクリエイトしていくかということ。

プロフェッショナルとしての在り方を感じますね。


我妻マリ:まさに毎日がサバイバルでしたよ。