MIXBLOOD Catalog販売中
アニメとの違いとは
僕の写真は、カワイイをテ-マとして撮っています。しかし、そのカワイイは、今、世界中でブ-ムになっているカワイイとは、背景が異なっています。
僕が撮るカワイイ写真は、奈良の中宮寺の弥勒菩薩を代表とする、仏像美から大きく影響を受けています。
それに対して、今、日本のみならず、世界中で認知されているカワイイは、アニメから発展したものです。
アニメとは、本来、アニメーションの略ですが、今では、カワイイ文化の象徴として認知され、世界中でカワイイの言葉と共に日常化しています。
又、アートの分野でも、村上隆を筆頭にアニメを題材とした作品が、多く見られます。
僕が、10年前からファインアート写真を撮るようになって、モデルにヘアーメークを施し、コスチュームを着せて制作する写真を、カワイイ文化の影響と捉える人が多いのですが、僕自身は、アニメや漫画に興味は無く、30年近く、ファッション写真を撮って来た経験から、モデルにコマーシャルとしてではなく、ファインアートとして、依頼したものです。そこにある、一貫したテーマは、絶対美
で、決してカワイイ文化の影響ではないのです。
では、何の影響なのか?
実は、mixbloodのテーマで撮影を始めるまでは、深く考えてはいなかったのです。
僕にとっては、写真を撮ることが、絶対美 であり、コマーシャルとファインアートの違いは、そこには 無かったのです。
mixbloodの撮影を、奈良ですると決めて、そこで初めて、絶対美 とは、自分にとって何なのか? と考えるようになりました。
それまでは、心の中に感じる、変わらない感動や、感覚を手掛かりとした、抽象的なものでした。しかし、奈良という場所に立ったとき、自分の生まれた、故郷であり、日本の国のふるさと
という感覚におそわれたのです。
僕の実家は、寺です。父は、当然のごとく僧侶で、毎日、あらゆる階層の人が出入りし、お経とお香の中で、その人々を見ていた記憶があります。
周りは、山や川で、田舎の子供が遊ぶことと言えば、川で魚を追いかけ、山で木に登ることでした。
父は、僧侶としては、風変りな人で寺に生まれた子供は僧侶になる。
という世間の常識から外れて、自分の道を見つけなさい! と言うだけでした。
こうした環境の中で、山や川で遊ぶ以外は、絵を描くことが 唯一の楽しみでした。
そこにあるのは、山や川が自然にあるように、人や動物の生や死も自然にあり、虫の音や読経の声、お香のにおいと、仏像の微笑み、人々の笑い声とすすり泣く声、そのひとつ、ひとつが思いだされます。
僧侶にならなかったことで、それを、絶対美 という写真にしているのです。
今、全ての矛盾を前にして、絶対美 という安らぎを感じとろうとしているのです。